GW中盤戦はこのイベントに。NTTICC。
ICC ONLINE | 2010 | オープン・サロン「オープン・スペース 2010」プレ・イヴェント 「メディア・アートってなんなんだ?」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Opensalon27/index2_j.html
で、もしかしたらこの記事を2010年5月4日の午前に見る人が何人かいる可能性があるので、今日のも告知。
ICC ONLINE | 2010 | オープン・サロン「オープン・スペース 2010」プレ・イヴェント 「リアルタイム・ウェブの現在とこれから」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Opensalon27/index3_j.html
人によるし、そもそも未来のことだから分からないけど、多分面白いと思います。で、昨日。
この日程にもかかわらず開場前から既に50人くらいが行列。200人のキャパはあっという間に満席。来るまで知らなかったんだけど、USTの中継もあったみたいで、それなりの人数が視聴していた模様。10分ほど遅れてスタート。
畠中さん@ICCがモデレーションしつつ、大友さんと小沢さんがそれに答えるスタイル。発言量的には畠中さん:大友さん:小沢さん=4.5:4:1.5くらいな印象。3人の中で立場が一番明確で、かつ「社会」との接点に今まさになっている方の意見がもう少し聞けたら嬉しかったな。
畠中さんが「大友さんと小沢さんはメディアアートの”外側”の人。外から眺めるとそれはどう映っているのかを話せれば」と冒頭話してこのセッションはスタートしたんだけど(このポジショニングはあまり必要なかったと感じているけど)、大友さんはともあれ小沢さんはまさにこの意図にぴったりの方だと思うので、余計に残念。恨み節ばっかり言っても仕方ないな。無料だし。
もうひとつセットされた意図は「メディア(アート)が変化していく中で、アーティストやプロデューサーがどのような活動をしていけるか。」こちらに対する回答は主に大友さんが「わかんねーけどやるんだよ」と言っていたのが印象的で、90年代初頭のメディアアートの状況と対比して、現代における与し易さを説明してたけど、まさにその通りだと思う。やれば良いのだ、と。で、以下なんとなく取っていたメモを備忘録に。
・アルスエレクトロニカが帯びる「思惑」
・文化庁とリアル
・「東谷さんと畠中さんは音楽が聴こえるキュレーター」
・ペリー・ホバーマンは懐かしいなあ。
・メディアアートとしての音楽はヨーロッパでは一般的。
・音楽家がCDで音楽を売るということはどういうことかを考えざるを得ない状況に。
・グループ展? コラボレーション? アンサンブルズ。
・Christian Marclayの100 turntable auchestra
・芸術見本市
・オフサイトでは、そこでしかできないことを考える。制限の中で解を見つけていくという「流れ」
・ダムタイプの影響
・梅田哲也、堀尾寛太、真鍋大度、Open Reel Ensemble
・メディアアートは内弁慶。共同体内言語で自足中
・芸術と工学が持つそれぞれの互いに対する感情
・想像発信型の劇場(YCAM、高知県立)
・過疎化したメディアが「触れられるメディア」になってきた
・制約条件の中で絞り出すのがおれの音楽
・メディアを考えることで、新しい音楽が生まれる。
・お前らが思ってるよりおれはもらってるからな!
イベント自体は結果ダラダラと約3時間。質問タイムでは「抽象的な議論に終始したので具体的な何かを持って帰りたい」なんて言う、それはお前のオブジェクティブとの相違に過ぎないだろ(もしかしたら会場の総意かもしれないけど 苦笑)的な質問も出て、こういう結論が出ない感じがダメな人はダメなんだろうな、と感じた次第でした。個人的には非常に有益で、やっぱり、それこそ80年代、90年代、00年代とこの辺に関わってきて、テクノロジーが進化し、ハードルが下がり、表現の主体も客体も変わり、という変遷を、その流れの中に身を置きながら見てきた人の話っていうのはノスタルジックとは別の文脈でとても良いものです。出る杭を打っちゃうシニアは嫌だけど、一緒になって楽しもう、新しいものは興奮するぜ! というスタンスでいる限りはまだまだ健在だな、と。健在じゃないと困るけど。
あとは、最近良く思うけど、改めて最近良い時代だな、って。グラフィックツールもムービーのツールも安いし、何しろリリースからプロモーションまでのコストが従来とは比較にならないほど下がっていて、まさに誰もがメディアアーティストな時代。マーケットにそこまでのニーズがないのか、そもそも経験がないから「求め方が分からない」のかは分からないけれど、これからもっともっとたくさんの愉快な表現が出てくるんだと思うし、自分もどういう立場でかは分からないけれど、関わっていたい、関わり続けたいと改めて思った。
イベント中、大友さんはTwitterに夢中で、加えてUSTされてるということもあってか、「こんなんでいいんスかね」と何回か話していた。この感情はちゃんと考えないといけない思っていて、USTを発信側で体験するとすぐに分かることなんだけど、目の前で頷いたりメモ取ったり、時に居眠りしたりする「顔」が見えないため、果たしてどういう感情で自分自身の発言を受け取り、理解されているのかが全く分からなくて不安になる。SocialStreamである程度分かるだろ、っていうのとは違う、やっぱり何かそこはかとない不安がどうしてもある。この感情が結果として何を生むのか、この感情は消し得るのか、要注視。
帰りに会社寄って、デスクに放置してたこの本持って帰ったので今から読書。
イベント関係者の皆様、ありがとうございました! また遊びに行きます!
